福原の街についてABOUT FUKUHARA

福原(ふくはら)は、古くは平氏政権の福原京で知られる地名である。
現在は兵庫県神戸市兵庫区福原町(ふくわらちょう)という地名があるが、福原町は明治以降に付けられた地名で福原京とは直接の関係はない。現在の福原町はソープランドが密集している地区として有名である。

東京で「明治18年兵庫福原町天池徳兵衛」と書かれた椅子が発見され、日本の洋家具は神戸が発祥地とみられている。この椅子は、現在、神戸市立博物館に展示されている。このため長く福原には家具店が密集していたが、昨今のライフスタイルの変化や不況のあおりで廃業を余儀なくされる店舗が続出している。

この他金刀比羅宮の神戸分社も福原にあり、「福原のこんぴらさん」として親しまれている。

福原の街について
・福原 (神戸市)
兵庫県神戸市の地名。その福原歓楽街は省線神戸駅開業の際、駅に掛ら無い様に現在地に移動させられた。
・福原京
平清盛が神戸福原の地で行った首都造営計画の通称。
福原の歴史

福原の歴史HISTORY OF FUKUHARA

福原の歴史は古く、治承4年(1180)に平清盛が福原に都を遷都したことから始まる。神戸・福原に都を置き、大輪田の泊を中心に貿易を進め政治、経済の中心地にしようとした清盛の夢は半年で消え、都は再び京都に戻ったが港としては使われるようになった。
その後、幕末の時に外国人居留地が神戸に建設されるようになったため、ちょうど居留地と兵庫の中間に位置する一帯に、外国人慰安所として遊郭が誘致された。その後、明治初年に大阪~神戸間に鉄道が建設されたのを機に遊郭である一帯に神戸ステーションと貨物ヤードが建設されることとなった。そのため、遊郭は旧湊川中流の東側に移転、これが「福原遊郭」であり現在の福原ソープ街である。 今では、あらゆる業種が軒を並べる、関西でも有数の風俗街として全国でも有名。日夜大勢の客が足を運ぶ、大人の一大アミューズメントパークと化している。

1995年の阪神大震災のときには、多くのソープ店が地域住民に無料でお風呂を開放していました。あの時はどこに言っても水が足りなかったので、地域の人たちには大変大助かりだったでしょう。

それだけ福原のソープ街は地元に密着していることが分かりますね。21世紀になって平成不況もますます厳しくなってきていますが、福原でも低金額で遊べる店が増えてきています。客としていく分にはうれしいですが、店が減ってきたりするのは悲しいです。現在約60店ほど経営しています。